2005年12月08日

『住宅顕信』を読む

 2004年の4月初旬の週末に子連れで里帰りしてきました。電車は始発の上野駅から終点の万座・鹿沢口駅まです。思春期の子供たちとは特に話はないだろうと思い、片道2時間40分の旅路の友として一冊本を持参しました。同年の正月に日本橋丸善で買ったままだった『住宅顕信』(池畑秀一監修 2003.3.1小学館刊)という、25歳で病死した僧侶で自由律俳人の俳句と半生を綴った本です。実は四月馬鹿の日に来店されたS氏が「最近、仕事が暇だから自由律の本を読んでいるよ…」とか、切り出されたので、私が「じゃぁ住宅顕信(スミタク・ケンシン)という最近の…?」と言うや否や、鞄からカバーを外した白い本を出され「これですか?」と言われたので、あまりにもどんぴしゃりなので驚きました。S氏は「先人のエピゴーネン云々」とか批判されましたが、私は同書を持っていながら、読んでいない後ろめたさを恥じながら、浅はかな知識でも一応対応しておいて、後でちゃんと読めばいいと思いました。そこへ出勤日でもない従業員のG氏がうやうやしく来られ、熱い烏龍茶など注文されて、S氏の手にしている未知なる自由律俳人の本に目に留めました。彼女は帰りの電車の中で読みたいと、彼から借りて帰ったのでした。
 そんな経緯もあって、いくら読書不精の私も、その話題の俳句本を読まない訳にはいかなくなりました。S氏もG氏も私も、もののふの会の「独演!俳句ライブ」に出演して、自由律俳句をこよなくする者であるからしてなおさらです。それどころか我々は、山頭火も尾崎放哉も住宅顕信もやらなかった朗読表現に拘っているからこそ、顕信のことを知らずにはいられないという思いがいっぱいでした。確執や誤解の許に遠ざかった夫人の残した一人息子を、病室で面倒を見た顕信の父性や、只ならない両親や妹の繰り広げる現実のドラマを察すると、顕信俳句以上の人生の機微に思いを馳せてしまい哀れさも一入でした。もし自分だったらと考えると、いたたまれなくなります。プロレタリア川柳の鶴彬(ツル・アキラ)もそうでしたが、句を詠む動機や目的が単なる楽しみだけじゃなくて、個人的に確とあって、若い息吹のその一途さに背筋が正されました。
 私事ですが、帰郷の列車の中で読んだ『住宅顕信』の闘病生活など恵まれない中でも直向な人生を思えば、はるかに幸せな現役の俳人として、顕信のささやかな志や魂の燻りを戴き、引き継けたら幸いと思います。
 次に印象に残った句を拾い出してみます。

  カーテンぐらいは自分でと病んでいる
  笑顔浮かべたお湯が流れる
  わずかばかりの陽に来て人もスズメも
  陽にあたれば歩けそうな脚なでてみる
  念仏の白い息している
  父と子であり淋しい星を見ている
  かあちゃんが言えて母のない子よ
  子には見せられない顔洗っている
  抱きあげてやれない子の高さに坐る
  水溜りにうずくまり父と子の顔である
  夢にさえ付添いの妹のエプロン
  手が汗ばんでいる夢を見ていた
  ねむれぬ日々の枕うらがえす
  寝れぬ夜の顔あらっている
  子につんぼと言われていたのか
  また帰ってくるはずの扉開けて出て行く
  待ちくたびれた傘が立っている
  ずぶぬれて犬ころ
  捨てられた人形がみせたからくり
  無表情な空に組み立てられた黒い花輪だ
  人焼く煙突を見せて冬山


 山頭火と放哉の句の影が濃厚なのは、顕信が傾倒したのだから当然と言えます。その当然を乗り越える前の夭折ですから、勢いや情熱、感性のみずみずしさを感じ取るべきだと思いました。特に自由律の場合は、有季定型の俳句らしさに守られることはありませんから強い個性の味が左右すると思います。軽率な自由律俳句は薄っぺらな印象しか与えられません。数ある顕信の句にも共感を呼ばないものも散見します。しかし顕信ならではという句と巡り会えた喜びは一入でした。
 「かあちゃんが言えて母のない子よ」は、離婚して子の前に現れない実母ではなくて、顕信の老いた母に向かって「かあちゃん」と言っている哀れな幼子を描いています。「抱きあげてやれない子の高さに坐る」「水溜りにうずくまり父と子の顔である」などは恵まれた身体のわが体験としても感銘できる哀しい句です。母なしの父子の景は、その大切なものの欠落が哀れです。「子につんぼと言われていたのか」は、顕信の病が進んで耳が不自由になったという現実あっての句です。世間常識のご法度言葉は負の言霊が漲ってます。しかし時と場合によって正の言霊に反転してしまいます。その良い例だと思います。「ずぶぬれて犬ころ」の短律は、顕信の句として代表格でしょうが、「犬ころ」の俳言そのものが健気で哀れです。その「哀れ」とは、私が思うところの俳句ならではの上り詰めた要で、詩俳混交の賜物です。「捨てられた人形がみせたからくり」「無表情な空に組み立てられた黒い花輪だ」は、理が勝っているような句ですが、リアルな視座とシビアな想いの諧謔が重くのしかかってきます。
 私より、ちょうど10歳若かった顕信が生き長らえていたなら、会って俳句談義をすることもできたでしょうから、夭折は悔やまれます。現今、若くて一途な自由律俳人にはお目にかかれませんから。今回、書物上だけでも接することができて一歩も二歩も先進できました。
 
  何はなくとも住宅顕信  二健

※本文は、2004年4月5日に、BBS{俳の細道}へ投稿したのが初出で、
書き改め整理してここへ発表した。2005.12.8
12-943
posted by 二健 at 21:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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