2006年03月02日

「単騎、千里を走る。」鑑賞

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高倉健が中国と関った映画というので、早速「単騎、千里を走る」を観た。
映画館は、伊勢丹明治通り側のビルの5階の「新宿文化シネマ4」。
横8席の7列で56席の小ぢんまりした部屋だった。勿論スクリーンも極めて小さい。
わざわざ映画を観に来たというリッチに気になれない。
男子トイレには、大小それぞれの便器が一基のみ。古くはない。
これで料金はいっぱしなのだから、ちょっと狐につままれたようだ。
しかし、映画の内容は大いに満足できた。幸い平日なので空いていた。

派手さはないが感動する場面が多々あり、倅を持つ身の父親としても感慨深かった。
中国の地元雲南省の出演者も素朴で好感が持てた。物語は現在の設定とはいえ、
政治や文化の違う中国の奥地の村への旅なので、時空観念のギャップが
立体感をもって感じられ、現存する異界に誘われたような奇妙な感覚を得た。
勿論映画制作における中国共産党の思惑も承知の上で鑑賞したが、
ことさら遜色はなかった。いかなる評判であろうとも、
良い国、良い国民であるかのように描かれるのは、予期していたことで、
当然事実や現実と虚偽粉飾や理想なども込みで思考した。
高倉健の無骨なほどの寡黙さは、誰とも比べられないほど孤高で
強靭な意思の人柄が忍ばれる。不言実行を地で行き続けている数少ない俳優だ。
寡黙といえば、高倉健より4歳下でフランス映画のアラン・ドロンを思い出す。
二人ともダンディでニヒルな一匹狼だ。信念や義理が単独行動の原動力となる。
口先の虚栄や理屈ではなく、実践するその一途な行動がものがたる。

今回の映画は中国という異郷の地の言葉等の壁と戦う高倉健の直向さと、
現地の人々との気持の触れ合いに見るべきものがあった。
中国の庶民と官憲、日本での確執を持つ息子(出演は声のみ)と、
その間を取り持つ善き妻等、登場人物は、いたって日常的だ。
ドキュメンタリータッチの映画だ。父に対して齟齬をきたし続けながら
死に行く息子の為しえなかった中国の仮面劇「単騎、千里を走る。」の
ビデオ取材を目的にするのだが、行く先の監獄で自らの人生と重複する
別な目的も生じてしまい、中国の奥地の村へ行くことになる。
そこの村長の云う「道理」への拘りは、東洋思想の最もたるもので、
その背景は人の道として慈悲であり寛容だった。日中は道義という絆で結ばれた。
人の誠や熱意が、言葉や文化の壁を越えて道理も人情も通じ合えることを、
映画をもって表現した作品だ。子を思う親の気持とその努力は通じて協力される。
昔ながら考えの村長は「子供は大人に従え」と言い、
高倉健演じる高田は「子供の意思を聞こう」と、西洋民主主義的意見を呈す場面が、
歯がゆくも、結果は道義に適う旅人の意向に任せる寛容が演出された。
映画そのものもさることながら、制作の現場や、その後の人的交流でも、
信頼と友好を深めたそうで、映画そのもの以上の収穫があったということだろう。
いや、そもそも映画というものは、そういう文化の武器なのだ。

高倉健は年取っても高倉健だった。
刃物を持たなくても高倉健だった。
一度見てもらいたいお薦め映画だ。
                               13-1156
□公式サイト
 http://www.tanki-senri.com/index.html

□東宝邦画作品ラインナップ
 http://www.toho.co.jp/lineup/tanki/
posted by 二健 at 08:35| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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