2008年05月18日

チャップリンの「殺人狂時代」鑑賞

初入店のカツカレーのランチ後、時間の余裕があったので今更ながら、
チャツプリンの「殺人狂時代」を観ました。
職場近くの「新宿K's cinema」で。
平日の昼間とあって、観客は数人でした。
入館して上映20分前には誰もおらず、ど真ん中の特等席に座れました。
昔の昭和館とは違って、椅子は大きくて座り心地がよく清潔でした。

映画が始まってみると、モノクロとレトロな音楽は予想どうりでしたが、
なんと、無声じゃなく、チャップリンが饒舌に喋って、
れっきとした俳優やってるんですね。
(わが予備知識はこの程度です^^;)
スクリーン中の室内で、マダム達が些細なことで口論して
ドタバタしている横で、叔父様が鼾かいて寝ていたり…、
人間の浅はかな深刻さと、その滑稽さのサンドイッチを
どんどん振舞ってくれるチャップリン映画に終始翻弄され、
わが心の襞が震えました。

細かく言えばたくさんありますが、私が映画を見る一つの視点は、
人間以外の生き物の描き方です。次に人間に限れば、大人以外、
さらに常識人で裕福な人、力のある人以外の描き方に注目します。
ここのところは、多くは観ていませんがチャップリンは素晴らしいです。
ちなみに日本の黒沢映画では左卜全にぞっこんです。

元に戻って、ほんのちょっとした場面ですが、
花園を歩いていたチャツプリン(役名失念)は、
路地に毛虫が這っているのを発見しました。さて、どうしたでしょう。
普通の人は、またぐか遠回りして避けて通ると思います。
害虫だし見てくれが気味悪いので、踏み潰す強者もいるでしょう。
チャップリンは「こんな所にいたら踏まれてしまうよ」とか言って、
手づかみで植え込みの中へ戻してやりました。
もうこの数秒のささいなシーンだけで、意図がつかめました。
この強面の映画タイトルのアイロニカルな逆説に頷けました。
猫も少しだけ登場してきます。扱いは同様で心温まるものでした。
虫や動物に愛着をもつチャツプリンは、江戸の小林一茶みたいです。
人間にとっての罪と罰の概念への深い洞察と、
その芸術表現の理念はドストエフスキーとよく似ていると思います。
「殺人狂時代」と「罪と罰」には通底するものがあると思います。
後の映画「タクシードライバー」も然りです。
取り立てて立派ではない偏屈な主人公は、
個人的正義感に駆られて反社会的行動を取っていく物語ですね。

チャツプリンは、この風刺映画を作ることによって、
1940年代のアメリカ社会から排除されていきます。
本家のアメリカで「殺人狂時代」が正当に評価されたのは、
ベトナム戦争の愚かさを知った頃からだそうです。
囚われの身となって、
「一人を殺せば罪人だが、大量殺戮すれば英雄だ」(という意味あい)
とかのたまうチャップリンの言説には、
人間の傲慢な正義観や常識に対する諧謔が漲ってます。

私が言うまでもないことですが、
道化となって観客を笑わせ続けて、まともなメッセージを伝え続けた
チャップリンは偉大です。
終幕は、潔く処刑場に向かう遠景でENDとなります。
役上のチャツプリンは、恩赦も断り死刑を受け入れるのです。
このシーンは、逃げ去らずに反権力を身を持って示した
ソクラテスの服毒自殺を彷彿します。
毛虫や子猫を救うシーンは釈迦似です。
法隆寺の厨子に描かれた、
餓えた虎の母子に身を捧げる釈迦の図を思い出します。
そんなことを連想しつつ、感慨深く「殺人狂時代」を鑑賞しました。

チャップリンこそ真の俳人です。
(俳句を作る人が必ずしも俳人ではありません)

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※上映館「新宿K's cinema」2008.4.26〜5.30
没後30年特別企画「チャツプリン映画祭」にて      32-3610
posted by 二健 at 00:28| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

工藤 桂 サムライ Live vol.2 「詩は、唄われる」

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当日は朝から雨がしとしと降っていましたが、午後には上がったので安心しました。
私への予約の数は淋しかったので、冷え込みを覚悟してましたが、
開演直前には席が埋まって救われました。ゆったりとした満席です。

29年前の当店開店当初のジャズライブで使っていたPA用パワーミキサーは、
当の昔にお陀仏になっていたので、今回のライブを契機に機材を新調しました。
300Wも出せるパワーミキサーの優れものです。
とは言っても、縦長の旧式PAスピーカーは健在なので使い回しです。
そこで一句「千波吉凶使い回しの拡声器」(なんちゃってね)
最新型アンプに年代物のスピーカー、この混ざり具合の調和がサムライ文化なのです。
舞台左右の後方に立てて設置したので、ハウリングが心配でしたが大丈夫でした。
入力の穴は12チャンネルもあるので、三重奏団でも不足はありませんでした。
唄はもちろん演奏も音響もたいへん良かったと思います。
手前味噌や理屈はともかく、お客様がどう感じられたかが肝要ですが…。
当店の形は左右のコンクリート打放しの壁が並行ではないので耳障りな反射音が無く、
内装と観客込みで音の拡散と吸音のバランスが良好です。
しかも天井が造作されてなく、吹き抜け空間なのも功を奏しています。
何といっても招き猫群の不規則なでこぼこが大いに役立っています。

さて、肝心なライブですが、来て見て聴いて下さるのがベストです。
タイトルの通り工藤桂氏のご祖父で詩人の高森文夫作品を弾き語り、
瞽女唄や民謡まで唄いこなし、月並みなフォークソングではありませんでした。
正に私たちの拠って立つ処に根ざしたギター弾き語りの唄でした。
フォークとは元来そういうものだとつくづく思いました。
それと、斎藤シュン氏の電気ウッドベースと、
ジャンベ(一枚革のアフリカの太鼓)での伴奏、
特に若い大口俊輔氏のアコーディオンの伴奏と、
ピアノソロ(自作のワルツの一曲を披露)の参加。
そういった変化と好条件が揃ったライブで申し分なしでした。

当店の「SAMURAI LIVE」では11回目、工藤桂の「サムライLive」は2回目でした。
今後とも有意義な小規模ライブやトークライブなどやっていきたいと思います。
ご来場下さった皆様をはじめ出演者の方々、どうもありがとうございました。

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※工藤桂の横顔:1983年生れ。東洋大学インド哲学科在学中にギター弾き語りを始める。
自作自演の他、舞踏家森繁哉の縁による瞽女(ごぜ)唄や詩人作品を弾き語る。
中原中也と親交の深かった宮崎県の詩人高森文夫を祖父にもつ。
サムライでは、2007年3月22日、弾き語り「枕のない夜」を行って高評を博した。
今回は、1年越しの2回目になる。

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■日時: 2008年5月11日 (sun)
     Open14:00/Start14:30
■出演: 工藤 桂 (Vo, G, P, Harmonica)
     大口俊輔 (Accordion)/斎藤シュン(B)
■会場: JazzBar サムライ                 31-3606
posted by 二健 at 23:37| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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