2007年03月27日

工藤桂の弾き語りに接して

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春分の日の翌日の2007年3月22日(木)。
午後7時より新宿のJazzBar サムライにて。
サムライでは初舞台となる。

同店を金曜日に手伝っているギネマが、
音楽活動の場で工藤桂の音楽に感銘を受け、
縁を得たという手蔓でここに至った。

生では初めて耳にする一青年の弾き語り。
主な手持ち楽器はフォークギター。
しかし巷のフォークとは一線を異にしたものだ。
詞も唄う口調もよくある西洋風のそれではない。
ハーモニカを口にするが然りである。
一曲は据え付けピアノで弾き語った。
後半、カリンバ奏者HIROYUKIとの共演。
一曲一曲の入魂の味わいはもとより、
建前は独演ながら変化に富んだ構成も功を奏して
終始満場の観客を魅了した。

私は、どこぞの産土神にまつわる唄ではないかと感じた。
あの時代、この風土に吹き渡り、変幻自在に戦ぐ
東風ないし涅槃西風のように。
萌え咲いたばかりの草花が揺さぶられる。
目瞑れば、爪弾くものがギターから和楽器に持ち替わり、
いにしえの故国の言の葉をざわめかせる。
木漏れ日が交錯し、律動の波を呼び寄せる。
そんな眩く臨場感のある幻を覚えた。

赤ちゃんから御尊父、そして血縁他縁の工藤家の人々、
学生、楽師、芸人、作家、画家、職人、職員、会社員等、
主客入り混じった交感の夕べ。

いみじくも舞踏がそうであるように、
自身の足元を見据え、掘り下げるほどに
行方は不自由の彼方となることか。
それにも関わらず、行脚を続ける芸人魂。

工藤桂の持ち唄には「松代竈の女の記」という
土方巽門下の森繁哉の作詞の曲がある。
作曲は例によって工藤桂自身だ。

♪ 聞いてくれくれ 婆つき唄を
  唄ってくれくれ 娘つき唄を
  わたしゃ松代山郷の 与左衛門家のよせ名の婆様
  語ってくれくれ 世さ迷い話

  年しゃは十六 顔まだ紅い
  紅い顔なら 赤いべべ似合う
  紅い手など もみじの葉っぱ
  与左衛門 紅い顔欲しい
  欲しゃいとて嫁だ 欲しゃいとて嫁だ
  (後略)

どうやら瞽女(ごぜ)の唄のようだ。
他はどんな持ち唄なのか、曲名だけでも、
工藤桂+蕾裸の自主制作CD「はだかの歌声」から拾ってみる。

1.「ちゃるめら夜唄」 2.「少年」 3.「月夜の子守唄」
4.「縁やら本意」 5.「小さなあの子に」 6.「松代竈の女の記」
7.「ゆっさ」8.「夕暮風花」 9.「縫い子たちの朝」

曲名だけからでも伝わってくるものがあると思う。
ライブとCDで、一二度は聴いたはずなのだが、
まだまだ曲ごとの感想を述べるには至らない。
全体像を、語彙をもって大雑把に捉えるならば、

故郷、山河、季節、伝説、風物、祭、信仰、習俗、
家族、生活、労働等、それら描かれている景色や営み、
さらには心情から情念、躍動、鼓舞、敬愛、憧憬、寂寥、
旅愁、哀惜等へと、如実に聴く者の心の壁へ投影され、
感得に至るであろう。

現代的都会的な恋歌ではなく、すこぶる鄙振の部類だ。
1985年東京生まれ、東京在住の工藤桂が、
何ゆえ鄙歌なのかと不思議がることなかれ、
どこに居ようが、これぞ日本のフォークソングではないか。
宮崎県の北に故郷に持つことの影響も大であろう。
「ちゃるめら夜唄」では蜩が鳴き、
深山霧島が唄い込まれている。
工藤桂が弦を爪弾き、日本語で唄う姿に一度でも接すれば、
時流に乗った流行りものの音楽とは、まったく違うところに、
モチーフなり立脚点を置いていることに気付くであろう。
今後が楽しみな民の唄い手である。

折りしも七十二候では雀始巣(すずめはじめてすくう)頃、
工藤桂の囀る営み、そして大空への羽ばたき。
またいつか出会うことへの期待をもって
私は、私の日常へ戻ろう。

※以上BBS「サムライブルース」より転載
23-?
posted by 二健 at 00:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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