2005年06月13日

〔終わり〕の誼(テロル)

ペン森山光章著 不虚舎 2005.4.28刊
頁表記無し 四六判 頒価1000円

著者は福岡県在住。断章形式の政治論。初句集『眼球呪詛吊り變容』(1991)から句集や詩集の刊行が、通算7冊目になる。05年8月末には、歌集『〔終わり〕の聲』を刊行予定だそうだ。どの集も難解極まる内容で、読み通せる自信はない。地獄の閻魔大王が、極悪非道で卑劣な人間共に天誅を加えているかのようで、痛快も極まり過ぎて辟易しながらも、人間存在の罪悪ばかりを考えさせられる。もし、生き神様がいるとすれば、正しく書面上の森山光章はその神で、神は神でもいにしえの神話や多神教の血生臭い憤怒の神だ。森山神の書き付ける詩は死であり、歌は禍で、俳は廃だ。氏の言葉では、権力のルビのタラズだ。どの頁を開いても、紋切り口調で結論が出ており、分かり易いと言えば分かり易い。常に言い切っているのは、実に潔く清々しい。読者に対する媚びや曖昧な駆け引きは眼中になく、実直と言えるほど繰り返し繰り返し、殺戮の鉈を振るう。こういった書物を、私は他に知らない。

昔、弘栄堂書店から定期的に出ていた「俳句空間」における、度重なる氏の入選10句の連作の字面から発光する言霊の陰影に痺れたものだ。当時、突破口が見つからなくて行き詰った私を、有季定型俳句形式の呪縛から無限への解放へ歩む動機と意思を与えてくれた俳の人の一人であった。こういった文字と記号による過激書のテロリズムが、まかり通る世の片隅にいる禍福をもって、当たり前の生ではないのだと自重したい。
posted by 二健 at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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