2009年03月26日

『俳句空間―豈』47号

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〔特集・青年の主張/安井浩司の13冊の句集〕
 発行:2008.11.10豈の会/発売:邑書林/
B5判26cm 158p \1,050(税込)
 ▽セブンアンドワイ- みんなの書店- 天狗本店

 http://myshop.7andy.jp/myshop/tengu



代わり映えのしない俳壇と、一線を画した安井浩司の存在にスポットを当てた特集。
ターゲットは13冊の句集なのだが、縦横無尽に論じられていて読み応えがあるはず。
そして「青年の主張」なる少々古いフレーズの特集。内容が斬新かは読後のご判断。
新鋭招待作家として選ばれた五人の俳句作品の、何と保守的で元気のないことか。
俳句空間時代の気鋭の息吹や衝撃が感じられない。卑しくも安井浩司の特別作品・
書下ろし50句に次ぐ巻頭の位置を占めながら。よりにもよって五人とも旧仮名で、
それを使えば伝統を敬い継承しているとかいうものではない。
無難に多数派の愛用する形式や表記に則っているという体たらく。
俳句表現の表層に甘んじているに他ならない。
俳壇の古老や似非伝統派に将来を期待すべくもないが、
保守革新中道…何でもござれの、とりあえず自由を確保している「豈」たる
俳誌媒体が取り上げた新鋭の、既に枯渇している様は嘆かわしい限りだ。
今後のこの「新鋭招待作家」の頁は、誌面上後ろに続く豈同人作品を
凌駕するインパクトのある作品が連なることを期待する。
現時点では、巻末で小さな活字で1頁に押し込めることで事足りるし十分だ。
申し訳程度な略歴が添えられているが、そっけない。無記が一人いる。余白が悲しい。
具体的な作品鑑賞は豈を購入して読書されたし。反面教師として役立てて頂きたい。

「追悼・長岡裕一郎『さようならのむこうに』早瀬恵子」の頁は感慨深く読んだ。
他はまだ読みきれていない。
わが同人作品は、「苦獄」と題した回文俳句21句と下段の「今風俳句数え歌」。(138p)
35-4628

posted by 二健 at 23:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月03日

『俳句空間―豈』46号

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〔特集・俳句と身体感覚/私の俳句入門(あるいは非入門)〕
 発行:2008.4.30豈の会/発売:邑書林/B5判 166p \1,050(税込)

豈同人の私は「俳句と身体感覚」というテーマに則って、
「ある俳句朗読会の実録 もののふの会『独演!俳句ライブ』の軌跡」と題して、
4頁分書かせて頂いた。(56〜59p)
内容は「俳ラ」初回の1998年3月より14回目の2007年10月までの経緯と所見。
HP「俳句天狗」上に記したものを、紙媒体用に簡潔に書き改めた。
俳ラ史をまとめたものは誌面では初めての発表となる。
わが同人作品は、「貝か」と題した回文俳句20句と小文「天狗の主張」。(139p)
34-3875
タグ:俳ラ
posted by 二健 at 20:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

『俳句空間―豈』45号発売

『俳句空間―豈』45号〈特集・伝統の黄昏/伝統の新興〉〈特集・戦後俳句論争〉
発行:2007.10.30豈の会/発売:邑書林/B5判 154p 1,050円(税込)


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*写真左より、豈45号、45号二健作品「咲く七草」、豈44号、44号二健作品「以下機械」
____________________________________

毎号論客オンパレードの充実した誌面ながら、
わが作品は、同人作品の「咲く七草」の回文俳句20句と、
その下段に配された回文詩「互して撫子」1篇のみ。129頁

仁平勝氏の、特集・戦後俳句論争「大根を正宗で切るな」は、
桑原武夫の「第二芸術論」に対する、川名大氏の既に発表された
論考に対して、酷評を綴っているあたり、読み応えがある。

一方、4ページ前では、その川名大の、特集・戦後俳句論争
「『戦後俳句』史観」という評論があり興味深く読み比べた。
旧師の原子公平も名前だけは登場していて親しみをもった。
かなり硬質な文章であり、仁平の皮肉るところの正宗たる所以か。
仁平に言わせれば、駄文で大根の「第二芸術論」などは包丁で
切ればいい所を、川名は正宗で切りかかっているのだそうだ。
川名は学者先生にありがちな生真面目一本やりなのだろうか。
文学者としての知識と義勇のなせることであろう。
以前の未定誌上では、川名大対齋藤愼爾で、
歯に衣を着せぬ天晴れな論争を展開していたことを思い出す。

なお、仁平と川名の両評論は別個のものである。
その他、特集・戦後俳句論争のテーマでは、
今井聖、小林貴子、川名つぎお、橋本直(下記URLで読める)、中村安伸が
ペンを奮っている。

俳句に対して「第二芸術論」なるものが戦後すぐに出てきて物議をかもしたが、
この際、論を飛ばして結論だけの私見を述べたい。
「俳句は芸術に成り下がってはならない」
私がこのように極論すると、
「既に有名な○○が言っているよ」と指摘されるのだが…。  30-3140
____________________________________
▽発売元の邑書林のHP
 http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/
▽俳句の創作と研究のホームページ/橋本直
 http://homepage1.nifty.com/haiku-souken/

◇前号『俳句空間―豈』44号〈特集・俳句の言葉/Who's who 豈'07〉
 発行:2007.3.31豈の会/発売:邑書林/B5判 166p 1050円(税込)
タグ: 俳句
posted by 二健 at 17:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

場所取り

犬 28-3121
posted by 二健 at 00:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月14日

『俳句空間-豈』43号紹介

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『―俳句空間―豈』43号 ANI 2006.OCT.〈特集・攝津幸彦没後十年〉
2006.10.1 豈の会(邑書林)
262p / B5判/ ISBN:4897095557 / 税込\1,575

▽邑書林のHP
 http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/
▽俳句の創作と研究のホームページ/橋本直
「豈」43号 特集:攝津幸彦没後10年でました。
作品論と俳句を載せています。
 http://homepage1.nifty.com/haiku-souken/
▽Kinokuniya Bookweb
 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%E6%AF
▽Yahoo!商品検索-「豈」の検索結果
 http://psearch.yahoo.co.jp/search?cop=mss&p=%E8%B1%88&ei=UTF-8
▽セブンアンドワイ-本-豈俳句空間43号
 http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31796217
▽ほんつな 豈の会
 http://spn65088.co.hontsuna.com/

*写真左は豈43号の表紙。右は僭越乍小生の作品の頁の一部
21-1891
posted by 二健 at 22:59| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『攝津幸彦選集』紹介

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「豈」の攝津幸彦といえばこの選集に触れないわけにはいきません。
お薦めの一冊です。ブックカバーは攝津俳句に似合ったデザインです。

攝津幸彦著 攝津幸彦選集編纂委員会・島田牙城編
邑書林2006年08月発行 169頁 B6判 税込1,680円
ISBN 4-89709-544-1 C-CODE 0092 間村俊一装丁

【内容】
第1句集『姉にアネモネ』、第2句集『鳥子』、第3句集『與野情話』抄、
第4句集『鳥屋』抄。、第5句集『鸚母集』抄、第6句集『陸々集』抄、
第7句集『鹿々集』抄、第8句集『四五一句』抄、〜全作品より800句精選
・インタビューT 「恒信風」村井康司
・インタビューU 「太陽」平凡社
・攝津幸彦論「語録・文章・俳句から」筑紫磐井
・攝津幸彦略歴及び書誌  筑紫磐井編
・あとがき  攝津幸彦選集編纂委員会(池田澄子・大井恒行・
       酒巻英一郎・高山れおな・筑紫磐井・仁平勝)
・初句五十音順索引

【情報サイト】
▽邑書林のホームページ
http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/
▽はてなダイアリー > キーワード > 攝津幸彦
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%D9%F0%C4%C5%B9%AC%C9%A7
▽Kinokuniya bookweb
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9981371106
▽大阪府立図書館蔵書検索 書誌詳細表示 攝津幸彦選集
http://p-opac.library.pref.osaka.jp/OSPLIB/webopac/kensaku/kensakuSyousai.jsp?tilcod=10020601080707
20-1890
タグ:攝津幸彦
posted by 二健 at 22:41| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月17日

『逢いたくなっちゃだめ』 (俳句付写真集)

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なんとも可愛くて、
可愛いだけじゃなくて、
短い言葉のおまけ付き。
子猫のあったかさ、
子猫のまんまのあたたかさ。
たまたま猫の赤ちゃんで、
たまたま言葉の赤ちゃん。
あたたかくて切ない二つが、
けなげに生き合っています。
あたたかくて切ないだけじゃなくて、
生きていること、
生きること、生きぬくことを、
ほんわかと気付かせてくれます。
そんな写真集であり、
文芸の友です。
=^_^=

_____________________________
200512.26 あおば出版 写真/板東寛司, 選と文/青嶋ひろの
▽Amazon.co.jp
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4885461642
                         17-1711
posted by 二健 at 22:18| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

句集『帆を張れり』部分評

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■うまきいつこ第一句集句集『帆を張れり』2006.4.1 邑書林刊 税込2500円
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  薄氷に羽毛ひとひら帆を張れり  いつこ

書名を含む代表的な句なので、序の林翔と跋の櫂未知子が共に高評を記している。
私はこの句に接して先ず、チック・コリア・リターン・トゥ・フォエヴァーの
「ライト・アズ・ア・フェザー」というLPを思い起こした。
早速レコード棚から引っ張り出して、ターンテーブルに針を落としてみた。
ある意味で懐かしいサウンドを耳にしながら、縦長で清楚な句集『帆を張れり』
をひもといた。LPは、1972年の清々しいフュージョンのさきがけ的ジャズ・
アルバムだ。50年代のクールないしハード・バップと、
60年代のフリー・ジャズ旋風、そして70年代にはポスト・フリー・ジャズと
流転して昇華する。ポスト・フリー・ジャズとは、名評論家の故油井正一の言葉を
借りれば、「フリー・ジャズの成果を踏まえた上で、反省と新しい建設を志向する
ジャズ・スタイル」ということで、フリー・ジャズは、それ以前に試行錯誤しつつ
確立されたモダン・ジャズ・イディオムを始め、あらゆるカテゴリーへの拘りを
踏まえている。

ならばご縁を戴いたうまきいつこの俳句ではどうであろうか。
表題句に即して言えば、地と水の表層たる薄氷と、そこに乗じた生きもの発、
天からの羽毛の影の有様に直感し、それを象徴的に詠み取った。
羽毛は抜け落ちてお仕舞いではなく、主を失くして更なる孤の旅路につかんと
している一瞬を見てとったのである。混沌の果ての一片(ひとひら)の静寂は、
巡り来るであろう更なる混沌への対峙の覚悟を秘めているかのようだ。
楽曲「ライト・アズ・ア・フェザー」と、句集『帆を張れり』の静寂の鼓動は、
躍動する輪廻の一瞬の瞬きを見逃さなかった。
ちなみにこんな句もあった。

  失業の胸にそよがす赤い羽根  いつこ

帆を張るべく羽根も運悪く人に毟られて、赤く染められてしまう。
羽根が職のない人と共にそよぐのもまた第二の生かされ方。
どちらかと言うと、こちらのほうがヒューマニズム濃厚で、俳味があり好みだ。
二句しか取り上げなかったが、細かく読んでいくと面白そうな句集だ。
ご冗談好きないこいつこ氏の俳句は、結構お澄まししているので、
返って意地悪く読んだ方が、味が出ると思うのは私だけだろうか。

腑に落ちないところは巻末の著者略歴に、「沖」同人と俳人協会会員とはあるが、
「里」同人の表記がないこと。これが原因で破門した人とされた人を知っているが、
自由な風潮の「里」に限っては、そういうことはないであろう。
所属明記に関して考えさせられた一幕。そこで悪乗り一句

  所属より個人がだいじ桃の花  二健
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※初出のBBS「俳の細道」06.4.8〜10 二健投稿を加筆改稿しました。
                                15-1288
posted by 二健 at 13:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

『住宅顕信』を読む

 2004年の4月初旬の週末に子連れで里帰りしてきました。電車は始発の上野駅から終点の万座・鹿沢口駅まです。思春期の子供たちとは特に話はないだろうと思い、片道2時間40分の旅路の友として一冊本を持参しました。同年の正月に日本橋丸善で買ったままだった『住宅顕信』(池畑秀一監修 2003.3.1小学館刊)という、25歳で病死した僧侶で自由律俳人の俳句と半生を綴った本です。実は四月馬鹿の日に来店されたS氏が「最近、仕事が暇だから自由律の本を読んでいるよ…」とか、切り出されたので、私が「じゃぁ住宅顕信(スミタク・ケンシン)という最近の…?」と言うや否や、鞄からカバーを外した白い本を出され「これですか?」と言われたので、あまりにもどんぴしゃりなので驚きました。S氏は「先人のエピゴーネン云々」とか批判されましたが、私は同書を持っていながら、読んでいない後ろめたさを恥じながら、浅はかな知識でも一応対応しておいて、後でちゃんと読めばいいと思いました。そこへ出勤日でもない従業員のG氏がうやうやしく来られ、熱い烏龍茶など注文されて、S氏の手にしている未知なる自由律俳人の本に目に留めました。彼女は帰りの電車の中で読みたいと、彼から借りて帰ったのでした。
 そんな経緯もあって、いくら読書不精の私も、その話題の俳句本を読まない訳にはいかなくなりました。S氏もG氏も私も、もののふの会の「独演!俳句ライブ」に出演して、自由律俳句をこよなくする者であるからしてなおさらです。それどころか我々は、山頭火も尾崎放哉も住宅顕信もやらなかった朗読表現に拘っているからこそ、顕信のことを知らずにはいられないという思いがいっぱいでした。確執や誤解の許に遠ざかった夫人の残した一人息子を、病室で面倒を見た顕信の父性や、只ならない両親や妹の繰り広げる現実のドラマを察すると、顕信俳句以上の人生の機微に思いを馳せてしまい哀れさも一入でした。もし自分だったらと考えると、いたたまれなくなります。プロレタリア川柳の鶴彬(ツル・アキラ)もそうでしたが、句を詠む動機や目的が単なる楽しみだけじゃなくて、個人的に確とあって、若い息吹のその一途さに背筋が正されました。
 私事ですが、帰郷の列車の中で読んだ『住宅顕信』の闘病生活など恵まれない中でも直向な人生を思えば、はるかに幸せな現役の俳人として、顕信のささやかな志や魂の燻りを戴き、引き継けたら幸いと思います。
 次に印象に残った句を拾い出してみます。

  カーテンぐらいは自分でと病んでいる
  笑顔浮かべたお湯が流れる
  わずかばかりの陽に来て人もスズメも
  陽にあたれば歩けそうな脚なでてみる
  念仏の白い息している
  父と子であり淋しい星を見ている
  かあちゃんが言えて母のない子よ
  子には見せられない顔洗っている
  抱きあげてやれない子の高さに坐る
  水溜りにうずくまり父と子の顔である
  夢にさえ付添いの妹のエプロン
  手が汗ばんでいる夢を見ていた
  ねむれぬ日々の枕うらがえす
  寝れぬ夜の顔あらっている
  子につんぼと言われていたのか
  また帰ってくるはずの扉開けて出て行く
  待ちくたびれた傘が立っている
  ずぶぬれて犬ころ
  捨てられた人形がみせたからくり
  無表情な空に組み立てられた黒い花輪だ
  人焼く煙突を見せて冬山


 山頭火と放哉の句の影が濃厚なのは、顕信が傾倒したのだから当然と言えます。その当然を乗り越える前の夭折ですから、勢いや情熱、感性のみずみずしさを感じ取るべきだと思いました。特に自由律の場合は、有季定型の俳句らしさに守られることはありませんから強い個性の味が左右すると思います。軽率な自由律俳句は薄っぺらな印象しか与えられません。数ある顕信の句にも共感を呼ばないものも散見します。しかし顕信ならではという句と巡り会えた喜びは一入でした。
 「かあちゃんが言えて母のない子よ」は、離婚して子の前に現れない実母ではなくて、顕信の老いた母に向かって「かあちゃん」と言っている哀れな幼子を描いています。「抱きあげてやれない子の高さに坐る」「水溜りにうずくまり父と子の顔である」などは恵まれた身体のわが体験としても感銘できる哀しい句です。母なしの父子の景は、その大切なものの欠落が哀れです。「子につんぼと言われていたのか」は、顕信の病が進んで耳が不自由になったという現実あっての句です。世間常識のご法度言葉は負の言霊が漲ってます。しかし時と場合によって正の言霊に反転してしまいます。その良い例だと思います。「ずぶぬれて犬ころ」の短律は、顕信の句として代表格でしょうが、「犬ころ」の俳言そのものが健気で哀れです。その「哀れ」とは、私が思うところの俳句ならではの上り詰めた要で、詩俳混交の賜物です。「捨てられた人形がみせたからくり」「無表情な空に組み立てられた黒い花輪だ」は、理が勝っているような句ですが、リアルな視座とシビアな想いの諧謔が重くのしかかってきます。
 私より、ちょうど10歳若かった顕信が生き長らえていたなら、会って俳句談義をすることもできたでしょうから、夭折は悔やまれます。現今、若くて一途な自由律俳人にはお目にかかれませんから。今回、書物上だけでも接することができて一歩も二歩も先進できました。
 
  何はなくとも住宅顕信  二健

※本文は、2004年4月5日に、BBS{俳の細道}へ投稿したのが初出で、
書き改め整理してここへ発表した。2005.12.8
12-943
posted by 二健 at 21:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

食の一句 ―365日入門シリーズ1

ペン著編者:櫂 未知子/2005.07.1ふらんす堂刊/ISBN4-89402-744-5
四六判変型並製ソフトカバー240頁/\1,800(税込)
帯文:
「美味しい俳句が満載。切れ味の良い文体が俳句の味を引き立てます。今日出会う名句」

新書『季語の底力』(03.5)に引き続き、またまた親しみやすい俳句本の出現。
現在活躍中の俳人で最も旬な櫂未知子が、最も旬な俳句鑑賞本を出した。
ふらんす堂のホームページで一年に渡って、毎日認めた一日一句鑑賞の成果だ。
古今の食べ物俳句が、365句集められ俎上に上げられ、賞味されている。

「あとがき」の中程と末尾を引用する。

<俳句は、食べ物が作品のメインになり得る稀有な詩型である。「食べる」という
ごく日常的な行為がそのまま詩となる、そんな文芸はめったにあるものではない。
私はグルメではないし、有能な主婦でもないが、俳句における「食」の重要さを
感じつつ今日まで来た。>

もし美食を求めたグルメの視点で選句し鑑賞していたならば、もはや俳句の域ではない。
食は人なり、生きものたらんなりと常日頃思う故に、
<食べることは生きること、それを実感しつつ本書をご一読頂ければ幸いである。>
と、締めくくられていて更に安心した。
しかし、グルメ云々発言の前の<…そのまま詩となる、…>を、<…そのまま詩と俳に
なる、…>と言って欲しいものだ。俳句に於いて俳の概念の不在は淋しい限りだ。
俳句が詩に集約される考え方を見直す時に来ていると思う。
いずれにしても、俳句を食の一字に絞って料理し賞味したところから見えてくるものに、
思いを新たにさせられる。それは俳句と食べ物の両義にわたる発見と感動の相乗なのだ。
8-240
posted by 二健 at 01:18| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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