2005年07月05日

食の一句 ―365日入門シリーズ1

ペン著編者:櫂 未知子/2005.07.1ふらんす堂刊/ISBN4-89402-744-5
四六判変型並製ソフトカバー240頁/\1,800(税込)
帯文:
「美味しい俳句が満載。切れ味の良い文体が俳句の味を引き立てます。今日出会う名句」

新書『季語の底力』(03.5)に引き続き、またまた親しみやすい俳句本の出現。
現在活躍中の俳人で最も旬な櫂未知子が、最も旬な俳句鑑賞本を出した。
ふらんす堂のホームページで一年に渡って、毎日認めた一日一句鑑賞の成果だ。
古今の食べ物俳句が、365句集められ俎上に上げられ、賞味されている。

「あとがき」の中程と末尾を引用する。

<俳句は、食べ物が作品のメインになり得る稀有な詩型である。「食べる」という
ごく日常的な行為がそのまま詩となる、そんな文芸はめったにあるものではない。
私はグルメではないし、有能な主婦でもないが、俳句における「食」の重要さを
感じつつ今日まで来た。>

もし美食を求めたグルメの視点で選句し鑑賞していたならば、もはや俳句の域ではない。
食は人なり、生きものたらんなりと常日頃思う故に、
<食べることは生きること、それを実感しつつ本書をご一読頂ければ幸いである。>
と、締めくくられていて更に安心した。
しかし、グルメ云々発言の前の<…そのまま詩となる、…>を、<…そのまま詩と俳に
なる、…>と言って欲しいものだ。俳句に於いて俳の概念の不在は淋しい限りだ。
俳句が詩に集約される考え方を見直す時に来ていると思う。
いずれにしても、俳句を食の一字に絞って料理し賞味したところから見えてくるものに、
思いを新たにさせられる。それは俳句と食べ物の両義にわたる発見と感動の相乗なのだ。
8-240
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2005年06月22日

映画「Ray/レイ」鑑賞

カチンコ 映画「Ray/レイ」を観た。先日、川崎でのtenko氏主演のドキュメンタリー「私をみつめ」以外では久しぶりの映画鑑賞。新宿武蔵野館はさして広くない。予告中の同館の空席は前列のみだった。金曜の昼間なので空いていると思ったがそうではなかった。暇人はいるものだ。幸い二列目の真ん中に座ることができた。スクリーンは大きくないものの間近だったので、大スクリーンのようで全体を見渡すのに、首と目を動かす必要があった。近年老眼も進んでいるので字幕も読めたし、まあまあの特等席気分だった。なによりも観客が静かで、独り貸し切りのようであった。

 この種の映画では、1988年にクリント・イーストウッド監督の「Bird/バード」を観たことがある。ジャズ好きのイーストウッドは、あるインタビューで「…アメリカがもっている独自のアートは、ウエスタン映画とジャズだけだ。…」と言ったとかで、なるほどと思った。「バード」上映より17年も経過しているが、両映画共ほとんど同時代のアメリカの黒人音楽映画として時代背景やコンセプションなど共通点も多かった。しかし当然とも言える商業主義に準じたレイのポピュラリティと、ストイックにジャズの革新を続けるバードの孤高さは好対照的だ。分かり易く言えば、大衆が踊れる音楽と通の鑑賞に値する音楽に分かれる。しかし両者の功績と天才たる所以は娯楽性込みでも、その革命的芸術性にある。汗臭いソウルとスピリットが込められたサウンドの強かさは多くの人の心に響く。さらに、荒んだ社会の底辺からの出発であり、アメリカ文化の過程結果オーライの底力を見せ付けられる。アメリカ南部に発したブルースというルーツは同じものの、片やカントリー、ゴスペル、R&Bないしソウルのレイ・チャールズに対して、モダン・ジャズの台頭、つまりビー・バップ旋風の中核たるバードことチャーリー・パーカー。その両者は、40〜60年代のアメリカン・アフリカンのめまぐるしい創造的音楽シーンを同時進行していた。どちらの伝記映画もこの相互の存在状況は描かれていないので、承知して観れば、当時の突出した天才たちが浮き彫りにできて興味深い。貧困、差別、不具、才能、ドラッグ、酒、煙草、金銭、男女、旅、出世、仕事(ギグ)、友情、背徳、恋愛、破局、子供、母、故郷、神、生死、詩情、世俗、風刺等々、ありとあらゆる人生模様のオンパレードで、その上の究極は音楽の偉大さだという結論に結び付かざるをえない。なぜか「レイ」に登場した大勢の悪者は、ごく普通の人で、誰でもあの時あの立場なら、ああやるであろうと思える人たちだ。ジャンキーで浮気者だったレイ自身にも言える。悪事が発覚した時など、ばつ悪そうに自覚し、葛藤や改心的ニュアンスを漂わせるシーンが多かった。また、近年のアメリカ映画に限ったことではないが、白人優越的な表現にならないように気を配っていることをひしひしと感じる。「ラスト・サムライ」も主演者ネイサン・オールグレンの良心の呵責がインディアン迫害に加担したことだった。その他例を挙げれば暇がないであろう。「キルビル」に至っては日本のアクション映画敬愛の念が露骨だった。

 それと、言い忘れたが、「レイ」のスタート・シーンの一齣一齣の何と美しかったことだろう。心憎いほどのイントロダクションだ。ピアノの鍵盤のクローズアップからカメラが引けば、レイのサングラスへの映り込みだった妙技、故郷で干されて風に揺れているシーツ越しの黒人女性(たぶんレイの母親)のシルエットの動き、裸木に吊るされたカラフルな空き瓶は「奇妙な果実」のメタファーなのか、等々連続した象徴的映像が音楽と共に提示されて生唾を飲んだ。印象に残ったシーンは書き切れないほど多く感慨深かった。レイの妻となるデラとの出会いの立ち話のシーンを見ると、何て恋の始まりは美しいのだろうと羨ましく再認識させられる。その後は現実が押しかかってきて、生易しい恋どころではなくなるのだが。盲目のレイが電話中に相手の女性(たぶん後の不倫相手)の家の窓の外の花に来ているハチスズメ(スズメバチではない)の音を聞き取るのだが、ナイス・ショットな映像にハチスズメとは、ハチなのかスズメなのかどうでもいい事だが迷った。この音楽家の伝記映画も当然音楽が全てなのだが、何よりも母親あってのレイなのだと何度も明るい画面のフラッシュバックで描かれる。いかなる英雄も、そうなれなかった男たちも、本を正せば母と女性の賜物であり、その憧憬を秘めていることに疑う余地はない。

                     *

  「Ray/レイ」 公開:2005/01/29 製作年:2004年 製作国:アメリカ 配給:UIP映画
  監督:テイラー・ハックフォード
  出演:ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、シャロン・ウォレン、
  レジーナ・キング、アーンジャニュー・エリス、クリフトン・パウエル他
  私が観た上映館:新宿武蔵野館 1月29日〜2月25日

※初出=BBS「サムライブルース」05.2.15 http://6112.teacup.com/samurai/bbs
7-129
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渡部伸一郎第二句集『亜大陸』

ペン渡部伸一郎第二句集『亜大陸』(深夜叢書社1999.10.10刊 2400円+税)を、
改めて手にとって見た。

キャッチコピーは「断言の気息 詩的思念の光芒」。末永隆生の帯文末尾は「(前略)彼は虚無の空間に〈蝶道〉を観る。具象から抽象へ、あるいは虚から実に回帰する非在の蝶に。己の詩的宿命の哀しみを重ねるのである。」とある。俳人とは何者なのかを考えさせられる含蓄ある謂いである。

本を丈夫な箱から出してパラフィン紙を外すと、布張りに金押しの背文字の装丁。イメージ・デザインは蝶。第一句集が『蝶』(1993刊)だった所以なのだろう。細分化された47章の構成。神仏、境涯、地理、歴史、旅、人物、生物、喪、絵画、音楽、舞台など、広範囲にわたって取材されている。インド旅行やジャズも出てきて親しみが湧く。巻頭の<そぞろ神東山よりしぐれ来ぬ>から、締め括りの<ノミオンといはれし蝶の赤き紋>迄、ほとんど有季定型文語旧仮名のオーソドックス形式。渡部氏とは数年前、未定句会で知り合ったのだが、やはり作風は同様だ。形は普通の俳句をよしとして、その内容が肝心だ。同集の心理描写としての写実の句を評すれば、キャッチや帯文のように哲学的見地に立つのが相応しいと思える理由も分からなくもない。生真面目な句を引き立たせるためにも、対極としての滑稽句はどうかと思ったので探してみた。

  あげるのも貰ふのも好き年の暮
  生き佛といはれて亀を飼ひにける

を挙げる。「あとがき」に興味深いことが書かれてあったので引用する。

(前略)何故、句集を出すのか。/ジョージ・オーウェルは『何故書くか』というエッセイで、書く動機の筆頭に「純然たるエゴイズム、頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声をのこしたい、子供のころ自分をいじめた連中を大人になったところで見返してやりたい動機」をあげている。表現することは、解って欲しい、認めて欲しいということなのである。そこまで僕が言えば笑止であるが、この短い詩型で生きる空間を最大限にしたいものである。(後略)

まったくもってその通りで、普段思っていることが既に言われてしまっていた。そのことは良い悪いでも稚拙でもなく、素朴に真理なのだと思う。言い足すなら「褒められたい、もてたい、先生と呼ばれたい、敬われたい、優越感に浸りたい、インテリになりたい、バカだと思われたくない、いい気になりたい、勉強したことを無駄にしたくない、良い仕事が欲しい、儲けたい等々」ものかきの、手に取れる具体物は自著が最右翼であるからして、書店の棚にずらっと並べたいものだ。こうやってネットでは、既成のメディアの世話にならなくても勝手に発信できるから、すこぶる便利この上ない。『亜大陸』からは、ものかきの心の根本を教わった。

  拍手をうてばかなかなしきりなり

もしかしたら信心も「純然たるエゴイズム」かも知れない。鰯雲が出て蜩が鳴くと、秋になったなあと思いつつ、盛んなカナカナの鳴き声を嘲りと捉えないように、純然たる祈りを心がけよう。

※初出=BBS{俳の細道}2005.5.21 http://8217.teacup.com/samurai/bbs
6-127
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サブカル・ポップマガジン「まぐま」13号――音楽のジオグラフィ

ペン2005.6.30刊/発行者:小山昌宏/編集者:梅田浩一・小山昌宏
発行所:STUDIO ZERO・蒼天社/発売:文藝書房/A5判166頁
定価735円(税込) (送料サービス) ISBN4-89477-179-9 C0070
☆お問合せやお買求めは→神奈川県 蒼天社
FAX 0463-72-6601 E-mail sohten@abox23.so-net.ne.jp

巻頭言:ブルースが、聞こえてくる。
    〜「音楽マンガ」ならざる音楽マンガ〜 …吉本たいまつ
インタビュー:ヘア・サイケ・ピーコック・ファッション 
    60年代風景画スケッチの検証 …頓所毅 
    COOLなJAZZを探せ 檀&隆のJAZZ放談 …能城檀&藤野隆
講 座:世界の民族音楽 VOCALから知る音楽の源流 …高橋秀樹
往復書簡:クラシックのディスクール
    音楽と哲学をめぐる12の音信 …荻原真×梅田浩一
    私の好きな映画のシーン
    和田誠『真夜中』から荻上直子『バーバー吉野』まで …中村真理
    FACE TO FACE 薬師丸ひろ子から島崎和歌子まで
                   …アイドリング・ノンストップの会
インタビュー:90年代サブカルチャーシーンを担った
    音楽専門CHスペースシャワーTV …近藤正司
レビュー:80年代ポップミュージックシーンを知る6冊
レポート:英国ライブハウス最前線 甦る70年代ロック伝説 …佐伯浩平
論 考:「大衆文化」概念の再検討 −大衆社会の終焉と分衆社会の成立 …小山昌宏
連 載:体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった!(4) …奥野陽平
歌 集:植田慶介歌詞集 …植田慶介
エッセイ:「ゴジラ ファイナルウォーズ」ビッグ北村は好きですか? …黒坪努
エッセイ:深夜のインターネットカフェから今晩は! …上村愛香  
座 談:教育映画発ヤクザ映画経由M78星雲行き後編
    町田政則(俳優)×原田昌樹(映画監督)×二家本辰巳(殺陣師)
レビュー:ART「内宇宙の鼓動」展/DOLL 吉田美和子球体関節人形展
詩:白の自画像 ごっこあそび …桑原美由紀
批 評:『下妻物語』小説と映画のあいだに …新井啓介
ポエム:紙の上をすべる詩(うた) …津森宇砂
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

能城檀氏より恵投賜った「まぐま」最新号は、ざっとご覧のような濃い内容。
わが通り過ぎた60〜70年代のサブカルチャーのよき時代特集で、懐かしいやら、
リアムタイムのチャンスを逃した悔しさやらで、光陰矢の如しよろしく暗澹たる
青春時代が甦る。気持だけでもあの時代の洗礼を忘れまい。
「檀&隆のJAZZ放談」は、ありがちな難解言語オンパレードではなく、
親しみ深く解り易い。素直な感動が伝わる。
お二人の話題に上がっていた「ケニー・バレルの全貌」の「月と砂」という曲を
しみじみと聴いてみた。なるほどリリカルで、バレルならではの好演だ。
ご主人のセレクトは、ボサノヴァ系がお好きなようで、
奥様に「いかにもJAZZっていうのは苦手?」と突っ込まれて、
言い逃れしているのが可笑しくて微笑ましかった。趣味共通で夫婦和合目出度し。

※出典・参考サイト「蒼天社ホームページ」
 http://www002.upp.so-net.ne.jp/sohtensya/top.htm
 http://www002.upp.so-net.ne.jp/sohtensya/magumashinkan.htm

5-121
posted by 二健 at 16:37| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月13日

「バックストローク」第10号

ペン2005.4.25刊/発行人:石部明/編集人:畑美樹
会計:松永千秋/協力:石田柊馬・樋口由紀子
発行所:709-0421 岡山県和気郡和気町日室519-12
  0869-93-3231/fax 0869-92-1912/akuru@mx3.tiki.ne.jp
 HP「川柳バックストローク」
 http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/back-hp/index-2.htm
 BBS「バックストローク」
 http://8418.teacup.com/akuru/bbs

[申込み方法]
郵便振替 01760-8-22174 バックストローク
頒価1200円(送料共)/会員6000円(年間)/購読会員4800円(年間)

季刊の現代川柳同人誌。川柳の固定概念からして、それらしくないモダンさで、インテリジェンスと清潔感の溢れる本作り。青い水中写真の装丁は毎号変わらない。名称も装丁デザインも垢抜けし過ぎていて、如何わしさの宜しさには欠ける。しかし誰が何をどう好むかの問題であるからして批判するには当たらない。肝心の川柳という言葉が、冊子の表裏と奥付けに入っていない。川柳と表記するのはダサいのだろうか。川柳のののさまに知れたら嘆かれることだろう。これも時流の変転なのだろうか。ついでにタイトルは「バックストローク」などとしゃれ込まないで「背泳」とか「裏かき」では駄目なのだろうか。本の内容に入る前に知れてしまうイメージ情報はバカに出来ない。捲って見ると案の定、きちっと整理整頓された句と散文のテキストと2枚の写真で構成されていて、付け入る隙がない。作品も作家らもお儀よくて居心地がよさそうだ。良識ある川柳人たちだ。守旧派多勢の俳句とは違って、口語現代仮名遣いの川柳がほとんどだから読み易い。そして句は天地揃え(均等割り付け)のレイアウトにしてないから、やはり読み易い。
巻頭で石部明氏が述べている川柳の難解性についての見解を読めば、この同人誌の色合いが推測できる。文脈の中での「自己の内部世界の詩化」のもつ意味は重い。こんなところで持論など持ち出して恐縮だが、川柳人と俳人は詩に凭れ過ぎないで「…の俳化」と言って欲しいものだ。
いずれにしても、現代最先端の川柳作品が目白押しだから、是非手に取ってご覧頂きたい。

  猫みたいな婆さまに道聞いている    田中博造
  関節を差し出し非礼をお詫びする     丸山進
  貧しさが写らぬようにキャベツ剥ぐ  柴田夕起子
  経費高を叱られている烏賊の墨     石田柊馬

4-43(kiji no.-counter)
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〔終わり〕の誼(テロル)

ペン森山光章著 不虚舎 2005.4.28刊
頁表記無し 四六判 頒価1000円

著者は福岡県在住。断章形式の政治論。初句集『眼球呪詛吊り變容』(1991)から句集や詩集の刊行が、通算7冊目になる。05年8月末には、歌集『〔終わり〕の聲』を刊行予定だそうだ。どの集も難解極まる内容で、読み通せる自信はない。地獄の閻魔大王が、極悪非道で卑劣な人間共に天誅を加えているかのようで、痛快も極まり過ぎて辟易しながらも、人間存在の罪悪ばかりを考えさせられる。もし、生き神様がいるとすれば、正しく書面上の森山光章はその神で、神は神でもいにしえの神話や多神教の血生臭い憤怒の神だ。森山神の書き付ける詩は死であり、歌は禍で、俳は廃だ。氏の言葉では、権力のルビのタラズだ。どの頁を開いても、紋切り口調で結論が出ており、分かり易いと言えば分かり易い。常に言い切っているのは、実に潔く清々しい。読者に対する媚びや曖昧な駆け引きは眼中になく、実直と言えるほど繰り返し繰り返し、殺戮の鉈を振るう。こういった書物を、私は他に知らない。

昔、弘栄堂書店から定期的に出ていた「俳句空間」における、度重なる氏の入選10句の連作の字面から発光する言霊の陰影に痺れたものだ。当時、突破口が見つからなくて行き詰った私を、有季定型俳句形式の呪縛から無限への解放へ歩む動機と意思を与えてくれた俳の人の一人であった。こういった文字と記号による過激書のテロリズムが、まかり通る世の片隅にいる禍福をもって、当たり前の生ではないのだと自重したい。
posted by 二健 at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月03日

樋口由紀子集 ―セレクション柳人13

ペン樋口由紀子著 島田牙城編 邑書林2005.05刊
114頁 四六判 税込1,365円 ISBN 4-89709-512-3 C-CODE 0092

□帯文:現代川柳に文学としての可能性を追求する20の個性
「川柳は大きく化ける可能性のある文芸です。次の時代に繋ぎたいのです」樋口由紀子
『ゆうるりと』抄、『容顔』全句、同二集以後の句、散文・略歴・索引等収録
樋口由紀子論執筆=村上直之、堀本吟

□略歴:1981年川柳を始める。川柳同人誌「MANO」創刊同人・現在編集発行人、
「バックストローク」会員、「零の会通信」、「豈」(27号〜)同人等所属
句集『ゆうるりと』、『容顔』。合同句集『現代川柳の精鋭たち』を刊行
神戸新聞文化センター・姫路よみうり文化センター講師
第15回川柳Z賞大賞、第2回川柳句集文学賞大賞受賞
姫路市在住

バーサムライ最終来店日:2005.05.21(バックストロークin東京三次会)

□ 抄出句               頁 寸感

  わたくしの暗さを独楽にして回す   21 自転車操業のようなもの。
  罪状は書き出してある雛遊び     35 今日は確信犯の雛祭り。
  婚礼布団のすみっこにあるふくらし粉 52 取り繕いの見栄えだった。
  オサマビンラディンの髭が売っている 73 非日常が売り物なのだ。
  うつぶせに眠る男と白牡丹      77 疑死に白けている牡丹。

演劇寸評:現代川柳界の中堅たる作品の完成度と活躍振りには定評がある。
五七五の定型口語現仮名表記が基本路線で、言葉も平明で分かり易い。
しかし単純や単調ではなく、内容はウイットに富んでおり奥深いものがある。
季語が入った句では、現代の有季定型俳句との決定的な差異はない。
一句が心理描写の詩となりえており、その分川柳本来の穿ちや風刺度の陰影は
どうなっているのか考慮して読むとなお面白い。
詩への収斂傾向は現代俳句も同様で、必然的に両者が接近し、
同化傾向にあることは明白だと言わざるを得ない。
村上直之の論「俳諧の正統を継ぐもの」を興味深く読んだ。
ならば立派な俳人ではないかと思いきや、堀本吟の論では、
「現在最も俳諧(徘徊)的な定型詩人と言える」と結んでおり、
樋口由紀子は、柳人、俳人、詩人のどれなのか、全てなのか、焦点が分散した。
川柳とは何か、俳句とは何か、ひっくるめて詩でいいのか、模索あるのみ。
posted by 二健 at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 川柳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初めに

わがブログとしては「ブログ天狗」に次ぐ二つ目のブログを立ち上げた。時折、冊子などをご恵投賜っていながら、礼状も出さずにいた無礼に報いるべき何か良い方法はないかと、考えあぐねた結果、どうせなら公表できるブログへの書き込みを思い立った。つぶさに書評を書きたいところだが、読み漁りは不得意だ。せめて書籍の存在だけでもアピールできたら、多少なりとも恵投して下さった方への恩返しが出来るのではないかと思った。しかし義理や恩義だけででやるべきではないと考え直した。書物の頁を繰って、得るべきものを得るために、このブログの活用をすべきだ。書物の傾向は、自ずから、わが俳句系の趣味関連のものになるであろう。
もし拙文を読まれたならば、なんなりとコメントを戴けるといっそうありがたい。
なお、当サイトのトップページはHP「俳句天狗」とする。
posted by 二健 at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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